白紙ソート

【読書感想文】里山資本主義――日本経済は「安心の原理」で動く

文体が興奮しすぎで「少し落ち着け」という気持ちになるが、主張には賛同できる。
お金だけに頼らないで生きていけるシステムの構築や資本主義の補助システムが必要だというのは良い主張だと思う。
資本主義に限らずあらゆるシステムは万能ではない。
だからそれをカバーする別のシステムを用意しておくことは必要だ。

ただこれって共産主義じゃね?と思う。
お金の代わりに人間関係やコトモノのやりとりを重視するあたりが。
余った農作物を融通したり労働力を提供したりというのは、つまり共同体の中で成果物を分配しているわけだし。
(ググったら里山共産主義と指摘している人がいた)
もちろんお金を否定しているわけではないので資本主義的な面もあるのだが。
「お金で測れない価値がある」のは事実だろうが、人間関係やその場の状況でレートが変動するのはめんどくさそうだなぁと思う。

木材加工から出た木くずをペレットにして発電や冷暖房器具に使用するバイオマスエネルギー利用は山林の多い日本には適していると思う。
エネルギーというのは生活に必須だ。
切れる手札は多ければ多いほどいいので、この方面の技術革新は進んでほしい。
火力原子力は燃料が外国依存なので比率が高いとリスクも高くなる。
このバイオマス発電だと全て自前で作れるので世界情勢なんかに振り回されずに済む。
まあ自前は自前で国内の影響を受けるわけだが、リスクヘッジとはそういうものだ。

里山「資本主義」という名称には違和感がある。
実際、名称だけ見たときは「自然に帰れ」みたいな印象を抱いていた。
その点は筆者らも気にしていたようで、資本主義か里山資本主義かの2択で考えることは文中で戒められている。
帯にも文中にも何度も出てくるが、あくまでもバックアップシステムとしての位置づけなので叩くのも無粋か。
まあいくら山林が多くても産業用電力まで賄うのは厳しかろうて。

個人的には金だけに頼る資本主義に危うさを感じていたため、この提案は魅力を感じる。
しかし一方で里山資本主義は絆を重視する点が受け入れがたい。
金にも絆にも頼らない別の道はないのだろうか。
模索していきたい。



「老人喰い」を読んだ

金持ちの老人が千万単位で金を奪われる事件をよく目にしていたので、
その手口がどんなものか、なぜひっかかるのかという疑問を解消するため手に取ってみました。
以下感想です。

なぜ騙されるのかというよりも騙しやすい人間を騙しているだけと言える。
裏の名簿業者によって、カモにしやすいリストが出回っているため、詐欺グループがそれを入手して詐欺を行うのだ。
老人が良く狙われるのは単に老人が騙しやすいからである。
さらに本書では洗練された騙しの手口も紹介されている。
劇場型詐欺とも呼ばれる手口ですが、心理の隙を突いてくる方法ばかりで、これでは騙されてしまうなと感じた。

ほかに読んで感じたのは、老人喰いは夢なき現代社会の落とし子ということだ。
昔は困窮していても、鉱山労働やトラックドライバー、大工など学もカネもコネもない若者でものし上がれる時代があった。
言い換えれば成功の夢があった。
しかし今やそれはなくなってしまった。
あるにはあるが学がないと厳しいだろう。
それはそれで良いと思う。
堅実がモットーの自分としては「一発当てる」は好みでない。
地元重視の若者などそういう人も増えていることは本書にもある。
しかし、その中の「例外」、成功の夢を追い求める若者にとっては今はつらい時代だ。
そんな中あらわれた老人喰いという名の特殊詐欺。
犯罪であることを除けば、年収5000万も夢じゃないというロマンあふれる響きは
「例外」の若者にとって輝くような魅力を感じさせるだろう、と思わせる。

そこまでしてのし上がりたい気持ちは多分自分にはわからないだろう。
しかし、彼らが老人喰いに参加するもう別の理由には共感できる気がする。
それは老人への怒りだ。
本書では、登場人物の一人が「老人は日本のガンだ」と断言する様が描かれる。
極端な論だが、詐欺メンバーの中でそこに異を唱える者はいない。
そして、金をため込むばかりで若者たちに投資してこなかった、あるいは夢のある世界を作ってこなかった老人たちは悪であるといわんばかりに徹底的にむしり取る。
もはや同じ人間として見ていないのではないだろうか。
老人喰いは必然的に生まれたと著者は述べる。
生きにくい社会を作った金持ち老人たちへの反逆だと。
同世代の若者としてそこに共感できてしまうのが悲しい。

老人喰いは確かに犯罪だが、その精神は鼠小僧のそれに近いと思う。
「私腹を肥やす連中」から金を奪うというストーリーは爽快なのだ。
(といっても基本的に分け与えるのは貧しい人々ではなく、詐欺グループ内だが)
だからこそ被害者側への同情はなく、大金をため込んでいたという事実だけに目が行くのだろう。
もっとも、最近はヤクザマネーが絡んだりしているため、やっぱり鼠小僧にはなれないようだが。




【読書感想文】ハンナ・アーレント - 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者

映画「ハンナ・アーレント」の評論を見て以来、彼女に興味を持っていました。
アイヒマン裁判でユダヤ人同胞虐殺の実行者であるアイヒマンを擁護するような論をなぜ展開したのか、それを臆することなく発表したその価値観を作り上げた経緯に興味があったのです。
本書ではその経緯と彼女の信念について彼女の人生とともに紹介しています。

アーレントを作り上げた大元は幼少期です。
母親から「先入観を持たず、社会的な諸関係の外に立」つことを学んだことがその後の彼女の価値観を作り上げたといっていいでしょう。
母親のこの考え方はなかなかできることではなく、だからこそアーレントのような人は少ないのだろうと思えます。
その後病気などで学校を休みがちになった彼女は家の蔵書を読み漁ります。
そこで理解することへの欲求が生まれ、哲学への道を志します。
哲学を学ぶ中でハイデガーやヤスパースなど彼女の師とも呼べる人々との出会いが彼女の価値観を確固たるものにしていったようです。

映画にもなったアイヒマン裁判は戦時中にナチスが行ったユダヤ人の行政的大量虐殺の実行者アイヒマンについての裁判です。
この殺戮についてアーレントは、一部のユダヤ人指導者が収容の手伝いに加担したこと、収容者自身が大量殺戮システムの構築に一役買ったこと、アイヒマンは巨悪ではなく、ただの指示待ち人間だったことなどを論文に書きました。
彼女は事実を言っただけなのですが、それを聞いたユダヤ人の人々は怒り狂いました。
誰だってこんな惨劇は狂人による凶行だと片付けたいのに、アイヒマンが我々と大して変わらない人間で、おまけに虐殺された人々も共犯だったなんて言われたらそりゃあブチギレたくもなるよなあと同情したくなります。
まあ、感情論で真実を曇らせてはいけないという彼女の意見には賛成ですが。
結果として、アーレントはほとんどの友人から絶縁され、数年にわたって激しいバッシングに会いました。
この論文の発表時期は裁判からすぐ後であり、傷の癒えぬところに発表したことがよくなかったのだと思います。
そのあたりは師のヤスパースにも指摘されています。
せめてもう20年ぐらいすれば人々は事実をもう少し冷静に受け止められたのかもしれません。
そうすれば彼女は友人から絶縁される悲しみを経験せずにすんだのかなと栓無きことを思ってしまいます。

この論文を発表した際、友人から「ユダヤ人への愛がないのか」と問い詰められたアーレントの回答は一見奇妙で興味深いものでした。
彼女は「自分が愛したのは友人だけであって、何らかの集団を愛したことはない」と答え、その一方で「ユダヤ人であること」は「生の所与の一つ」とし、「その事実を変えようとしたことはなかった」と断言します。
最初読んだときはよくわかりませんでした。
これは便宜上ユダヤ人としての立場はとるし、ユダヤ人として生まれたという事実は認めるが、しかしユダヤ人というカテゴリの集団に対しては特定の見方をせず、多様な視点を持つことだと私は受け取りました。
また、政治的な場面で集団的な帰属と個人のアイデンティティの帰属を同一にしてはならないというのが信条のようで、それは政治的な真理を曇らせる恐れがあるためだと述べています。
つまり、個人的価値観を集団の価値観と同一にせよという全体主義的な考え、言い換えれば「空気読め」状態は危険であるということでしょうか。
それは思考停止させるという点で本質的にアイヒマンが犯した罪の原因と同じものですから。

多様な視点こそが必要であり、どれだけ良い意見だろうと、単一の視点でしか物を見ないことは非人間的なことだとアーレントは言い切っています。
これを読んで前の勤め先で企業哲学を押し付けられたときに、それを心の中で批判し、流されないように自分の価値観を何度も思考したことが正しかったと感じさせてくれました。
とかく全体主義的な価値観が蔓延するこの世の中。
流されることなく思考し、事実を理解し続けるアーレントの姿勢はぜひ見習わなければと思います。

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【読書感想文】ジャンヌ・ダルク-歴史を生き続ける「聖女」-

かの有名なジャンヌ・ダルクについての本です。
といっても彼女の功績をメインとした内容ではなく、
死後の評価や多様な肖像を通して彼女の真の姿に迫るものです。
ジャンヌの姿には、フランスの英雄や神秘の女性といった一般的イメージから
傀儡説、ヒステリー患者説、王女説といったものまであるそうです。

その中で目を引いたのはヒステリー患者説です。
ジャンヌが戦地に赴いたきっかけは神の声を聴いたこととされていますが、
それはヒステリー患者によくみられる偏側幻聴の症状であり、神秘性のない普通の少女だったというのです。
また、この意見では彼女の活躍も勇敢さや健気さは認めるものの超自然性は可能な限り排除してジャンヌを語っています。
私は合理主義者なので、こういう現実的な意見は結構好きです。
ただ史料の読み解き方に手抜かりがあり、そのあたりが批判の対象になっているのは残念ですが。

ジャンヌ像にはいろいろありますが、その主な原因となったのはジャンヌの裁判記録です。
これは当時の教会によるジャンヌの異端裁判の記録です。
ちなみにジャンヌは魔女として処刑されたのではなく、教会の異端者として処刑されたそうです。
そのことは知らなかったので、読んで驚きました。
この裁判記録はジャンヌの発言が記載されているのですが、そもそものきっかけを神のお告げと言ったことなど肝心なところがどうとでも解釈できるため、先に挙げた傀儡説やヒステリー患者説なども勃興してきたのです。
設定の曖昧さから想像の幅を広げてアナザーストーリーを考えるというあたり、二次創作に似ているなと思います。
まあ史実と創作を同列に扱うのはどうかと思いますが・・・。

様々な見方があるジャンヌ像ですが、公式には聖女としての地位を確立しています。
1919年にローマ教皇庁により、キリスト教的美徳を備え、奇跡を起こした「聖者」として認定されているのです。
私は聖女というのは通称で、公に認められているものとは思っていなかったので意外でした。
とはいえジャンヌについてこれだけ多様な見方が示されたことからわかるとおり、ジャンヌという人物には人を惹きつける大きな魅力があることは間違いないのでしょう。

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【読書感想文】棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか

新日本プロレスを再興するために奮戦した棚橋弘至氏の自伝です。

低迷する新日本プロレスをなんとか盛り立てようと、試合のプロモーションのためなら地方へ行き、地元新聞やラジオなど出してもらえればどこでも出ていき、さらにコラムを3本毎週抱えるなど試合のある日のほうがラクという多忙な日々を過ごしました。
全力のPR活動から彼の新日本プロレスにかける情熱がわかります。
面白いと思ったのは会場に足を運んでもらうために、自分自身の知名度をあげるようにしたことです。
プロレスではなく、まずは「棚橋弘至」を見に来てもらおうというのです。
いわゆるパーソナルブランディングと呼ばれる手法でしょうか。

数年にわたる地道な宣伝によって少しずつ観客が増えていきます。
しかし、その道程は厳しいことの連続です。
一番感嘆したのは3年間ブーイングを浴び続けたところです。
プロレスのヒール(悪役)に対しては盛り上げの一環としてブーイングが起きますが、彼に対するブーイングはただの嫌悪でした。
3年も嫌われ続けるのは尋常でないストレスだったでしょう。
私だったらさっさと投げ出しています。
しかし、彼はそれを受け入れ、このストレスに対処する方法を考えることでこれを乗り切ります。
苦境にあってもそれに飲み込まれず立ち向かう姿はまさにプロレスラーと言えるでしょう。

この本ではプロレス観のことも書かれています。
その中には創作に通ずるものがあると思いました。
例えば、プロレスでは「テーマ」が大事で、シリーズ開始前には「シリーズを通した今回のテーマ」を考えて、1試合1試合に意味を見つけるようにしているそうです。
このあたりはストーリー構成の参考になるかもしれません。
他にも共感が大事とかエンターテインメントは飽きられたら終わりとか肝に銘じておきたいところがいろいろありました。

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