白紙ソート

成功の法則はあるか?

本屋や新聞広告で成功の法則を謳う本がよく取り上げられますが、それが古今東西数あれどいまだに出続けているということは、少なくとも万人に効くものではないようです。

成功の法則が見つからないのはなぜでしょう。
物理法則のように科学的に発見できないのでしょうか?
無理でしょう。
そもそも成功の定義自体があいまいで、人によって異なります。
子供のころからの夢だったケーキ屋さんになるのも、海賊王になるのも、宝くじで1等を当てるのも、ダイエットで10kgやせるのも、世界中から戦争をなくすのも、時間通りに待ち合わせ場所に到着するのも成功といえば成功です。
種類も程度も全く異なる結果を「成功」という枠でひとくくりにするのは無理があります。
予想する結果、つまり理論を定義できなければ、そこに至るまでの実験を考えることもできず、研究が成り立ちません。

仮に理論を作ったとしても、成功に至るまでの過程が、成功した人の肉体的、精神的なものに左右され、さらに、政治や経済、自然環境など外的要因にも影響されるため、あまりにも変数が多く、その過程をモデル化しようにもできません。
モデル化ができない以上、実験ができず、検証もできず、研究ができません。
ある項目に着目して成功した人にそれがあてはまるかどうか統計をとることはできます。
しかし、それで成功者にそういう傾向があるという相関関係は見いだせても、やはりほかの変数が多すぎて因果関係を証明できませんし、それに成功しなかった人にも同じ関係がみられるかもしれません。
例えば、成功した人の睡眠時間に着目して、成功した人は睡眠時間が7時間以上だったという結果が得られたとしても、それが睡眠時間ではなく、他の項目ないし他の項目の複合によるものである可能性もあります。
あるいは遠い未来、この世のすべての事象をシミュレーションできるようになればわかるかもしれませんが、今の技術では無理でしょう。

結局のところ個人個人が仮説を立て、それを実行、検証しながら、望む結果になるよう対処するしかないのでしょう。
ベストセラー作家(つまり一般的にいう成功者)の森博嗣氏は著書※1で「僕は、僕という人間に合わせて、僕の周囲の環境に合わせて、僕自身を修正しつつ今に至っている」と書いていましたし、結局、今成功しているというのは適宜アップデートを図った結果の産物というだけではないでしょうか。

※1「やりがいのある仕事」という幻想 P8より

風刺の意義

例のフランスのテロについてです。
言いたいことが言える権利は大事であることは間違いありません。
おかしいことをおかしいと言えない社会は誤った方向へ進みがちですから。
ただ、権利とは別に相手がそれを言われてどう思うかという視点は常に持つ必要があります。

イスラム教におけるムハンマドのように、誰にだって最も傷つけられたくない部分はあって、
本来はそこに軽々しく触れるべきではないと思います。
(欠陥や急所に触れるのが風刺ではありますが・・・)
しかし、どうしても傷つける必要がある場合、例えばその価値観がどう考えても間違っていて、それに気づかせる意図がある場合、
細心の注意を払って、その人自身の価値観や問題を全て勘案したうえで、しなくてはなりません。
また、その後のフォローもしっかりとしなくてはならないと思います。
ですから、個々の事情を無視して広く発信できる新聞というメディアが、イスラム教信者という非常に幅広い範囲のくくりに対して、
心の中で最も大切で繊細な部分を風刺つまり攻撃に準ずるような発信を行うことは、
慎重の上に慎重を期して、最大限の検討を重ねたうえで、
最低限の礼儀を持った表現にするべきだと思います。

最低限の礼儀というのは、相手をひどく傷つける風刺のうち、それがなくても風刺として成り立つのであれば、
削除しても構わない表現を削除することだと思います。
例えば、ムハンマドの姿を書いて「全ては許される」と表現するのではなく、メールで「全ては許される」というような表現にすれば、
もう少し冷静に受け取ってもらえるのではないでしょうか。
風刺というのは欠陥を指摘し、相手に反省を促す目的で行うもののはずです。
ですから、ムハンマドの顔を書く書かないといった本質的でない問題によって、
本来伝えたいメッセージが伝わらないとしたら、それは改めるべきだと思います。

利他の効能

最近、中国の富裕層で「利他の心」が流行っているようです。
あの国で流行ることそれ自体は歓迎すべきだと思いますが、利他の心が本当に非の打ちどころのない完璧な思想かと言われると疑問です。

もちろん、良い面はあります。
他者の利益を全く顧みず、あるいは他者の利益を奪う利己的行為を続ければ、最終的に、殺伐として乾ききった大地のような心が残るだけです。
そんな人に利他の心を勧めれば、乾いた心にうるおいを与えることができます。
他人の役に立つという充足感はお金では買えない幸福につながります。
中国の富裕層で利他の心が流行っているのも、乾いた心になってしまった人が多いからでしょう。

しかし、水を与え続ければいずれ土は腐り、地面は陥没し、周囲も飲み込む大穴となるように、他者の利益を図ろうとするあまり、自分や相手の利益を著しく損なう、あるいは自分や他人の周りの人間の利益を著しく損ずることもあります。
子供の将来のためにと子供に遊ぶ間も惜しんで塾通いさせる親はいい親でしょうか。
組織の不祥事をごまかすために自殺する人間やそのために残された家族を美化していいのでしょうか。
何事も行き過ぎれば負の面が現れてきます。

利他の心は良い面もありますが、万能ではありません。
他人のためといえば何でも許されると思っていないか。
他人のためという大義が絶対的正義だと錯覚していないか。
利他の精神を発揮する際は、このあたりのことを自覚するべきだと思います。
自戒を込めて。

2015年の目標

あけましておめでとうございます。
今年も当ブログをよろしくお願いします。

さて、今年の目標です。
去年はほとんど達成できなかったので、現実的な目標にしました。

【年間120冊以上本を読む】
某氏みたいに1000冊と行きたいところですが、
アプリ作りとかもやりたいので、こんなもので。

【アプリを年間6個以上制作する】
勉強もかねていろいろ作ってみようと思います。
Windowsタブレットを買ったので、ストアアプリも制作したいです。

【立ち絵をかけるようになる】
ゲームを作りたいので、ある程度は書けるようになりたいですね。

【ブログを週1で更新する】
これは去年と同じです。

【小説を年2本完成させる】
去年の目標が高すぎたので、現実的に・・・。

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