白紙ソート

保護観察対象者の社会貢献活動の一部義務化にモヤモヤ

清掃や介護補助…保護観察対象者の社会貢献活動

保護観察中の人に社会性の涵養という理由で、
一部の人に社会貢献活動を義務化することになったようですが、
どうもモヤモヤします。
1日2~5時間程度ではありますが、
やっぱり形はどうあれ強制労働のような感じを受けるからでしょうか。

確かに、社会というか人のために何かして、
その結果、得られた精神的充足感は生きがいや自信につながるでしょう。
それは多分前よりは「しあわせ」なことだろうとは思います。
その人にとって悪いことではない、はずです。

また、そんな「しあわせ」な人たちが大量にいたから
世の中が回ってきたという面はあると思います。
やりがい中毒や労働教的側面が日本の発展を支えたことは否めません。
経済や秩序のためという広い観点から見れば、
労働に喜びを感じる人間が多いことは望ましく、
そういう風に矯正することは間違っていないとは思います。

加えて、「世のため人のため」は一般的に正しいことであり、
それが常識となっている社会で生きていく以上、
そういう行動をとれるように矯正することは一応理に適ってはいます。
それは保護観察中の人と社会の大多数を占める人々にとって
お互いに望ましい形ともいえます。

ただ、そうやって社会貢献性がその人を受け入れるための
必須条件であるかのような社会にしていくことが、
同時に社会から排斥される人を生み出すのではないでしょうか。
そういう人は保護観察対象になりやすい人でもある気もしますから、
社会貢献の義務化が果たして適切な手段なのかと少し疑念があります。

日本社会というレールから外れた列車を軌道修正し、
社会のレールに戻すということが必ずしも正しい手段とは限りません。
社会復帰を目指すといっても、
その社会なるものは本当に復帰させるべきものなのでしょうか。
ほかに復帰できる場所はないのでしょうか。
社会貢献という更生方法は間違っているとは思いませんが、
それ以外の別ルートを見つけられるような取り組みがあってもいいと思います。

全力では打ち込まない

何かに打ち込めとかいう意見をしばしば見かけますが、
何事ものめりこむことは好きではありません。

全力を傾ける姿は感動的です。
青春のすべてをつぎこんで甲子園を目指す高校生、
患者を救うために昼夜を問わず奔走する医師たち、
エトセトラエトセトラ・・・
こういう物語は私も好きです。

しかし、何かに全力を注ぐということは危ない面もあります。
体力、気力、時間、思考などを1つのことに100%使ってしまうと、
当然ほかのことに気は回りません。
私が危ないと思っているのは、一つのことだけしか考えないことで、
ほかのことを気にしなくなってしまうことです。

日本で生きている以上、
「私たち一人ひとりが考えなければならないこと」
というのはたくさんあります。
社会保障だったり、憲法だったり、いろいろあります。
そして、この手のハナシは
「私たち一人ひとりがほっとくとやりたい放題されること」
でもあります。

だからこそ、100%打ち込むことはしたくありません。
10%ぐらいは余裕を持って、
大事なことでやりたい放題されそうになったら、
すぐ気付けるようにしておきたいのです。
そしてもちろん、気づいたそのことにも100%注意を向けるのではなく、
同じように余裕をもって考えるようにしたいなぁと思います。

仕事における「最初はつらいけど」に続く説得

労働条件が悪く、つらいから辞めるという人に
「最初はつらいけど、いずれやりがいが出るからやめないほうがいい」
と説得する人がわりといます。
よくある諭し方ではあるんですが、
これってよく考えるとおかしいんですよね。

この問題の本質は仕事量の多さ、長時間残業、
過度な責任など労働条件が悪いことにあります。
ですから、解決すべきは労働条件のはずです。
しかし、冒頭の言い回しだとやりがいが出ることで
つらさがなくなると言っていることになります。
確かにやりがいというか何らかの楽しさを見出すことで、
つらい面を我慢することはできます。
しかし、つらさの原因がなくなったわけではありません。
我慢の助けになっても、根本的な解決にはなっていません。
つらさをヤリガイでフタするだけではただの先送りです。

ですから、ここですべき説得は
「じゃあそのつらさを減らすにはどうすればいいか考えてみよう。
わたしたちも考えてみるから」
というふうに解決策を考える/提示するようなものが良いと思います。
交渉の余地があると思えば、もう少し様子見してくれるはずです。
もちろんその場だけでは終わらせず、
実際に改善策を決定して実行することが必要なことは言うまでもありません。
こういうことをしないならば、やめられても仕方ありません。
そして、そんな会社ならばさっさとやめてしまったほうが賢明です。
問題があっても放置するようないい加減な会社はいずれ潰れるでしょうから。

歯科定期検診に行きました

ずっと前から通っている矯正歯科に定期検診に行きました。
平日なら空いてるだろうと思って予約をしたら1か月後になったあたり、
矯正歯科は人気なんだなぁ、と。

検診代は8000円でした。
今までは15000円かかっていたのでほぼ半額です。
なんでこうなったかというと、
検診案内のハガキには治療が終わってから6年以上経つと安くなるとのこと。
6年にしたのは定期検診に来なくなるのが
そのくらいからというデータがあるんでしょうか。
まあ6年以上も定期検診に来る人というのは少ないでしょうね。
(言外に6年以上も来る私すごいという意図をこめて)
せめて値段を下げて来やすくといったところでしょうか。
予約が1か月先まで埋まってるぐらいなので、
儲けを失いたくないってこともないとは思いますが。
あーでも、年1の安定した収入源は魅力的ですよね。私もほしい。

あと、検診の最後のほうで口の中をこすって
付着物を顕微鏡で見るってのをやったんですね。
しばらく何かを苦戦しながら探していて、何かなと思ったら、
細菌を探していたみたいで、歯周病菌が密集しているといわれました。
危険だと言われたんですが、知識がないので危険と言われても何とも。
具体的に何が危険なのかわかんない状態で判断はできませんねぇ。

ついでにクリーニングもしたのでツルツルでさっぱりしました。
歯は大事なのでケアはずっとしていかないとですね。

専門用語を連発されても困るけど

多くの専門用語や難しい言葉は、
複雑な概念や言い表すと長くなる意味を一言でまとめるためにあります。
用いる言葉の数が少なくなれば、書くときに短くまとめることができます。
その点は伝える側にとっては便利ですし、
意味を知ってさえいれば受け手側にも便利です。
なので、これがあるとコミュニケーションが楽になるわけです。
しかし、専門用語や難しい単語の意味を知らない人や、
知っていても思い出すのに時間のかかる人にとっては困りものです。
読んでいるときなどは、単語を理解するための時間が必要になり、
そこでいちいち止まってしまいます。
たとえば、次のような文章を見てみましょう。

「これからの企業はクラウドアプリケーションを利用して
業務の迅速化やコストダウンを推進すべきである」

「と言われてもクラウドアプリケーションって何?」
と結構多くの人が思うはずです。
もちろん、ちょっとICTに詳しい人なら意味は分かりますが、
一般の人に説明したい場合だと、
何が言いたいのか理解されなくなってしまいます。
しかし、平易な言葉を使って説明しようとすると、
説明が長くくどくなり、やはり敬遠されてしまいます。
たとえば上記の文章の「クラウドアプリケーション」を、
Web辞書の定義で置き換えると以下のようになります。

「これからの企業はインターネットを通じて
提供されるサービスやストレージなどのコンピュータリソースを、
ユーザーが特にリソースの所在を意識することなく
利用できるというコンセプトの、特定の作業を行うために
使用されるソフトウェアを利用して
業務の迅速化やコストダウンを推進すべきである」

長いですね。。
しかも専門用語が増えちゃってます。
でてきたやつを全てを潰そうとすると文章量がもっとひどいことになり、
かえって分かりづらいでしょう。
専門用語は複雑な概念をコミュニケーションの中で
扱いやすくするためにあることがわかりますね。
しかし、専門用語を使うがゆえに専門外の人との
コミュニケーションに支障をきたすという面もあります。
しょうがないんですけどね。
結局、素人側としてはその都度調べて覚えるしかないんでしょうし、
あるいは、専門側の人がよりわかりやすく説明してくれることを
期待するしかないんでしょうね。

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