白紙ソート

相棒14 3話感想

殺人かと思ったら自殺かと思ったら自殺教唆だったという話。
二転三転して展開が読めなかったので面白かったです。

予告でなんで米沢さんが冠城に舌打ちしたのかと思ったら、前回良いようにつかわれたことを根に持ってたんですね。

ちょっと気になった点。
IT会社社長が妹がやりとりした相手を探すためにIPアドレスをたどったと言いましたが
IT会社の社長だろうが個人ではIPアドレスからは住所特定できないはずなんですがね。
市町村まではいけるらしいので、そこから何とか探したのかもしれませんが。
あるいはドラマのご都合主義ってことでしょうか。
それをいったら最初の自殺者の現場に、化学会社社長が来る前にたまたまIT社長が来たのだってそうなんですが。

前歴照会がうまい伏線になっていたのは感嘆しました。
捕まった場所が病院近くだったので、ちょっとひっかかるものはあったのですが
最後にああ使ってくるとは。
都合よく交通違反で捕っていましたが、フィアンセを殺そうという人間なら
注意力散漫で信号無視になってもおかしくはないのでそんなに不自然ではないかな。

苦しくて死にたいと願う人がいて、しかもそれが愛する人だったらその願いを叶えてあげたいと思うのも人情。
しかし形がどうあれ他人が他人の命をどうこうする権利は誰にもないのは事実であります。
話はちょっと違いますが、右京さんは尊厳死についてはどう思うんでしょうね。
形式的には医師が殺人を行うことになるわけですから。

EDで花の里で月本幸子にデレデレの冠城・・・
そういえば女癖悪かった。
今後このへん絡めてくるのかしら。
朝起きたら女の死体とベッドインしてた、みたいな。

テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

相棒14 1話&2話感想

・1話感想
刑務所内の事件という珍しい題材。
刑務所に入ったことはないからわからないけど閉鎖空間内で権力を持つもの持たないものが同居すれば過剰な暴力行為もありそうな話です。
なんかの実験で刑務官と囚人に別れたら刑務官が暴力的になったってのを思い出しました。
まあ劇中のナメられないためという理由も一理はあります。
そんな風潮だと囚人にきちんと接する人は邪魔だとなってしまうわけで。ムラ社会怖いね。
実際はこんなことやったら即バレそうなのでないんでしょうが、刑務所内がブラックボックスってのは事実なんですよね。
まさか見世物のように公開するわけにもいきませんし。

野獣だったものが知識を得てモンスターになりそして神になった。
理不尽な暴力を振るう人間に知恵で立ち向かうさまは人を虜にするのに十分だと思いました。
犯罪者が知恵で刑務官の暴力に立ち向かうというのは皮肉が利いてて面白いなと思います。
普通逆だろっていう。

冠城が犯人に味方といいながら、最後に正義の味方だと言ったのは可笑しかったです。
あ、こいつずるいやつだ。みたいな。


・2話感想
ジャーナリストが警察の暗部を掴んで殺されたってのは相棒にしては雑なストーリーな気はしましたが、
ジャーナリストもワルでしたというオチだからテンプレからはズレてるかな。
しかし怪しい素振りを見せてまで右京さんを釣る必要あったんですかね。
まあ、警察官を逮捕できるか試したり、見逃していたら右京さんごと逮捕する気だったと言ったりと右京さんを信頼していなかったからということなんでしょうが。
ところで大河内さん盗聴器はやりすぎじゃないですか。
あとそんなわかりやすいところにつけていいんですか。

冠城はこれまでの振り回されがちな相棒と違って右京さんを利用する姿勢が露骨ですね。
けれども右京さんがこのまま利用されて終わるようなキャラじゃないのは明白。
いずれ逆襲しそうです。
チェス対決しているOPからすると、今期の相棒は対決する相棒なんでしょうか。

しかし2話続けて身内の不正ネタでしたが、今クールは警察とも対決するのでしょうかね。
冠城が法務省の人間なのでありそうかも。
対決するときは法務省次官が官房長ポジションになるんですかね。

新聞への軽減税率が保身に見える理由

新聞の軽減税率の話です。
私の家では読売新聞をとっているんですが、
財務省の給付案が出てきたときに社説やら2面やらで猛反対していてドン引きしました。
この案は酒以外の飲み物、食べ物を買ったらあとで2%分の税金を給付するというものなんですが、
これだと新聞は減税の対象外です。
なので猛反発したようです。

反対の理由としては国民の公平な知識会得を守るためであるというのが新聞側の意見です。
まあ正直どこが公平なんだとツッコミたくはなります。
安保法案でそれがよくわかりました。
新聞は偏りはあるしたまに誤報するし何より偏りがありますが、
それでも割と信頼のおけるメディアですから、買いにくくなるのは確かに困ります。
ただ、それを新聞に書くのはどうかと思うんですよね。
なんかこう保身に見えるんですよ。
なんでこんなことを思うかというと軽減税率の収益面での影響を考えたからです。

発行部数が最も多い読売新聞の場合で見てみます。
購読案内を見ると朝刊のみで3093円(税込)なので税抜きの価格は2863円です。
消費税が8%→10%になったとき、税込価格は3149円で8%のときより56円の上昇となります。
2014年11月の朝刊部数は全国で934万5155部なので、価格を据え置いた場合、少なくとも1か月で56×934515≒約5.2億円の減収になります。
1年では約62.4億円になります。
消費税8%での1か月の総売り上げは
3093×9345155=28904564415≒約289億円
1年では約3468億円になります。
総売り上げに占める減収分の割合は
62.4億÷3468億=0.0179…≒1.8%
つまり、軽減税率が適用されないと年間約1.8%の減収になってしまいます。
年間1.8%の減収でしかありませんが、新聞購読者数が年々減っていることを考えれば好ましいとは言えないでしょう。
また、62.4億円の減収と報告していた場合、その衝撃は大きいと思うので、軽減税率を適用して減収を回避したいと思うのは経営側としては当然の反応かなと思います。

結局、軽減税率から外されると収益面に結構な影響が出るわけです。
このことを考えると読売が猛反発したのは自社の利益を守るためだと思ってしまいます。

東大はダメ?

ノーベル賞はいずれ海を渡る-日経ビジネスオンライン

この記事の最後のほうで予算をトップ大学(というか東大)に配分することへの批判として、
「2000年以降にノーベル賞を受賞した人々の出身学部を一覧すればわかる通り、学術研究の世界における最先端の研究は、「選択と集中」というよりは、どちらかといえば「層の厚さと多様性」によってもたらされている。」
「自然科学系の受賞者21人のうち、東京大学(学部卒業時点)の出身者は4人に過ぎない。占有率にして約19%。サッカー日本代表メンバーに占める海外クラブ在籍選手(約48%)の半分にも満たない。とてもではないが、「多数派」とは言えない。」
と仰っています。
読んだときは納得したんですが、以下のツイートを見てはっとさせられました。


そうなんですよね。
東大生と東大以外の学生数を比べれば、東大以外の学生数が上回るに決まってます。
上記ツイートの表から東大生と東大以外の国公立大学生数の比を出すと14013対343782≒1:24になります。
割合にして4%です。
(国公立大は上記表以外にもあるので実際はさらに差があります)
これでノーベル賞を独占せよというのはさすがに無茶振りでしょう。
むしろ全体の4%に満たない東大生が19%も受賞しているのはすごいことだと思います。
東大はダメな子ではないんですね。

じゃあトップ大への「選択と集中」が100%いいかというとそうでもないようです。
京大は同じく人数比が4%未満なのに28%(21人中6人)が受賞しています。
京大もトップ大学ですから、東大と京大で受賞者を合わせると21人中10人が受賞していることになります。
ということはトップ大学が約半分を占めているわけです。
逆に言うと地方大学も約半分を占めています。
ということはトップと地方全体で成果は同じですから、「選択と集中」と「層の厚さや多様性」もどちらも有効だという結論になります。
まあ、引用文のとおり、2000年以降に限って言えば「層の厚さや多様性」のある地方大のほうが有利ではあるんですが。
追記
まあ、そもそもノーベル賞だけでどっちがすごいなんて言えないんですけどね。

以下反省。
冒頭の文章を素直に受け入れたことの何がおかしかったかと言えば、そもそも単体と複数を比べるというありえない比較を行ったことにあると思います。
比較というのは同じ条件下でしなければ意味がありません。
たとえば京大と東大ならそれぞれ一つの大学ですから成果は比較できます。
一方、東大と東大以外、つまり1つの大学の成果と複数の大学の成果の合計を比較したところで大した意味はありません。
個人戦の成果と団体戦の成果を比べるようなものです。
意味がないのに比較が正しいと思ったのは、おそらく東大VS地方大(あるいはエリートVS庶民)の構図が頭にあったためかもしれません。
反射的にそれと結びつけたせいで違和感を感じなかったんだと思います

比較して論じるときは、その比較の正当性を考えてからにしたいですね。

悪意の裏の悲鳴

世の中には特定の人に対する様々なバッシング、誹謗中傷がある。
人が悪意をぶつけるというのはおおよそ動機がある。
その動機とはなんだろうか。

誹謗中傷する人には相手を許せない気持ちがあって、
いわば罰を与えるために一方的な制裁を加えるという目的があると思う。
では、「許せない」とはどういうことだろう。
逆に「許す」場合というのを考えてみる。
許すというのは、ある人がある行動をとったとき、またはある状態に置かれているとき、それに対して何も思わないことと言える。
いいかえれば暗黙のうちに相手の存在を認めることである。
ということは「許せない」というのは相手の存在を認められず、否定したいことに等しい。
なぜ否定したいのかといえば、そうすることで利益が得られるからか、そうしないことで不利益を被るからのいずれかである。

ここでいう利益とは心の安定ではないだろうか。
大抵の人間は何かに属することで、立ち位置を確保して心の安定を確保している。
何かというのは価値観であり、それは組織の価値観だったり、職業的価値観だったり、正義感だったりする。
自己存在感のレベルの価値観は少しでも否定されるとひどく動揺する。
それは他人が自分と違う価値観を持っているというだけでも起きることがある。
だから自衛のためにその価値観を必死で否定し、抹殺しようとする。

必死になって働いている人が、何もしていないように見える無業者を攻撃する。
それを否定しなければ、こんなにも苦労している理由がなくなってしまうから。
そうすることがふつうであるという理由で耐えている人にとっては何も得られない無意味な苦痛を受け続ける恐怖から逃れるために必死の覚悟で悲鳴をぶつける。
「やめろ。助けてくれ。それを認めたら私は壊れてしまう!」
その悲鳴は誹謗中傷へ姿を変える。

痛ましい悪意の噴出を防ぐには、一人ひとりが自分の価値観を確認し、それは異なる価値観によって破壊されることはないと気づくことが必要だろう。

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