白紙ソート

人間と動物は違う

人間と動物は違う。
高度な知能を持つとされるイルカや類人猿ですら、人間との間には越えられない壁が存在する。
「火事で燃えさかる家から子イヌと子どものどちらを救うか」(サイボーグ化する動物たち)と問われたら、子供のほうを取るに決まっている。
サルに人権を認めたバカな国があったが、それは人間の優先度を動物と同じに落としたことに他ならない。
救済のリソースが限られている以上、すべての人の人権を救済することはできない。
そこに人外を割り込ませれば、救われる人外と救われない人間が出てくる。
人間よりサルを先に助ける場合が出てくる。
それは全くの不正義だ。
人間と動物の間には、政治的にも法的にも明確に線が引かれなければならない。

一方で、システム的に見て人間と動物そして植物に違いはないとも言える。
われわれ生物は、化学物質と化学反応によってできている。
タンパク質や水で肉体は形作られているのは知っての通りだ。
物理学と化学で動いているとも言っていい。
つまり、生物というのは、あるシステム仕様に従って動く一種のプログラムと見なせる。


プログラムは基本的に、ある入力に対して処理を行い、その結果を出力するものだ。
空腹の犬の前にエサを投げれば、犬はエサを食べるという行動を出力する。
アサガオは昼間の日差しを浴びてから、9時間後に花を開く。
あなたが熱いやかんに手を触れれば、反射が起きて手をのける。
いずれにせよ、生物――というか生物の持つ入力装置(目とか皮膚とか)から受け取った入力を、体内器官が処理して、何かしらの行動を実行させている。
コンピュータは、アルゴリズムに沿って、入力から出力を作り出しているだけです。そのアルゴリズムが簡単であろうと、複雑であろうと、何ら違いはありません。(コンピュータが小説を書く日)
しかし、システムの複雑さがそれぞれ異なるなら、ふつうは人間と動物と植物を同一のものとはみなさない。
とりわけ人間の仕様の複雑さは群を抜いている。
いまだ部分的にしか解明されてない脳システムが大きな原因だろう。
肥大化した脳こそが人間と動植物を明確に隔てている。
人間には「こころ」があり、動物には「こころ」はない。
「こころ」と解釈できるものを観察することはできても、それは人間のものとは全く異なる。
いま、人間と動物を同一視することはできない。

とはいえ、いつかは脳のブラックボックスシステムも解明される時が来るだろう。
「こころ」が説明可能なシステムになれば、それは特別でなくなる。
人間の行動がすべて仕様書に書けるようになったとき、人間とそれ以外の生物を分けるものはシステムの複雑さだけになる。
コードの行数が生物種のランクを決める世界がくるかもしれない。
あるいは、その程度の違いしかないからと、人間と動植物の境界が消えるかもしれない。

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